もちろん偶然だったのですが、10月18日に立教大学英語会の同期会が、そして、翌19日に東京教育大学文学部英文科のクラス会が開催されました。うまく都合がつけられたので、その両方に参加しました。
立教大学英語会の会ですが、「同期会」と書きましたが正確にはわたくしたちの学年と一つ下の学年の合同会でした。卒業は1970年、71年ですから、すでに半世紀以上の歳月が経過しています。会場は立教大学池袋キャンパスの第一食堂です。45人も集まりました。
会では、当時のサマーキャンプ(野尻湖畔)の8ミリ映像が流されたりして大盛り上がりでした。コロナ禍でしばらく会の開催をあきらめざるを得なかったので、久しぶりの歓談の輪が広がり、旧交を温め合いました。60年代後半から70年にかけての時代ですので、女性にとってはずいぶんと息苦しかったのではないかと思っていたのですが、話をすることができたかたたちは自分の生き方を曲げたことはなかったと口を揃えました。
翌日の教育大のクラス会は、担任をしていただいた岡本靖正先生と奥様をお迎えしての開催です。岡本先生はシェイクスピアの碩学で、ことし米寿をお迎えになったのですが、とてもそのお歳には見えない若々しさです。場所は茗荷谷駅近くの、茗渓会館をその前身とする嘉ノ雅茗渓館です。教育大関係者にとってはなつかしい場所です。こちらの出席者は19名でした。
2日連続して、立教と教育大のリユニオンに参加して、つくづく≪自分は幸せ者だなぁ≫と思いました。立教学院には中学から10年間お世話になりました。さまざまな出会いはわたくしのものの考え方や生き方の基盤を培ってくれました。受験の心配をすることなく、好きな本を読み、ものを考え、友と議論した幸せな青春時代でした。
大学3年生の秋学期にお目にかかった伊藤健三先生のお導きで、教育大英文科の3年生に学士編入することができました。あのときの伊藤先生のことば「英語教育を考えるならまずは英語学をしっかり学ぶことから始めなさい」がなければと考えるとぞっとします。いま振り返ればなにもわかっていなかったのに≪英語教育を改革するのだ!≫と気持ちだけ舞い上がっていたわたくしに担任の中尾俊夫先生が「茶飲み話のような英語教育談義をしていてもなんの意味もない。まずは英語学をきちんと学びなさい。そして、大学院。英語教育はそのあとで十分だ」ととどめを刺します。
教育大の大学院(修士課程)とMITの大学院(博士課程)での思考と学びはわたくしの研究者としての生き方を形作ってくれた、かけがえのないものであることは間違いないのですが、そもそも研究というものがなんであり、どんな心構えが大切であるのかを学ぶことができたのは学士編入してからの学部3年生、4年生の2年間でした。直接、大学院を受験するという術がなかったわけではありません(もっとも合格は叶わなかったでしょうが)が、学部での基礎教育をきちんと受けることができたことはその後の人生にとって大きな意味を持っています。
喜寿も近づき、すでに鬼籍に入ってしまった仲間も少なくありません。両方の会で「これが最後」という声もありましたが、そう考えては今後の拡がりの余地がなくなってしまいます。もっと考えること、もっと行動することを楽しみたいと強く感じた週末でした。
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