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美加 五十嵐

小学校英語のなぞ

更新日:2020年3月20日

小学校英語を教科化・専科化するという動きが表面化していますが、 http://oyukio.blogspot.jp/2013/05/blog-post_16.html わたくしにはどうしても理解できないことがあります。それは、教科化・専科化を「格上げ」と捉える考え方です。

現行の「英語活動」は教科ではなく、道徳と同じ「領域」扱いになっています。これは決して「教科」にできなかったから「活動」にしたということでもありませんし、「教科化」のための準備段階として「活動」を位置づけたということでもありません。そのことは菅正隆前教科調査官も、直山木綿子現教科調査官も繰り返し述べていたことですし、学習指導要領を読んでもわかります。

教科としての英語と英語活動は質的に違うから、小学校への英語活動導入は英語教育の前倒しではないとされてきたことは以前からの議論を振り返ってみれば、すぐわかります。


英語「活動」はあくまで担任主導で、独自の教室文化を築いていくのだという発想のもとに導入されたものです。小学校の先生がたは混乱の中にあって試行錯誤を繰り返しながら、英語活動の在り方を探ってきました。このブログでここ数回の模様を報告している、全国英語活動実践研究大会には毎回1000人を越す小学校の先生がたが集まり、さまざまな考え方や試みが発表され、熱のこもった議論が展開されています。

わたくしは現在でも小学校に英語は導入すべきではない(誤解のないように付言しておけば、小学校の教室に外国語が入り込んではならないと言っているのではありません。たとえば、総合的な学習の時間などを利用して、近隣地区に住む外国人を招いて、さまざまなことばや文化について語ってもらい、児童との交流を図るという試みなどは有意義です)と考えていますが、現実として、英語活動が導入された今、小学校の先生がたとともに「英語活動」を実質的「ことば活動」へ転換する道を模索しています。

ですから、英語活動の教科化・専科化は決して「格上げ」ではありません。ここ数日、たくさんの、小学校の先生がたからメールをいただきました。一様に《この10年間の努力はなんだったのだろうか》と戸惑いを感じておられます。一方、ネット上には、「格上げ」を喜ぶ声がかなり掲載されています。そのなかには、これまで英語活動を先導してきた組織や個人の声も混じっています。

わたくしにはどうしても理解できません。

もし教科化・専科化が必要というのであれば、英語活動という文化を指向してきたことのどこに問題点があったのかをきちんと議論して、その上で、改めて、教科化・専科化が必要であるかどうかを論じるべきです。《英語活動を主導できない担任があまりにも多すぎるからだ》という理由だけで、小学校の先生がたに責任を負わせることは慎むべきです。それは10年前にもわかっていたことであり、それを承知で船出をしたのですから。

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